諭る、さとる、サトル
仲間を見に水族館へ。
金魚の水槽
トンネル型の水槽
爬虫類の水槽
どこの水槽にも居る、端の方で全く動かない魚たち
水槽にいる同じ種類の魚は元気に泳いでいるのに
微動だにしない魚たち。
その魚たちは『諭ったさかな』。
わかっているんだ。
水槽にいることを。ここで一生を終えることを。
二度と大きな海に帰れないことを。
だから
ただその場に止まり続ける
動いても意味がないから。どんなに激しくヒレを動かしても
前に進んでも、必ず壁に当たる。
大海原には無い 透明の壁に。範囲の終わりに気付く。
そして、ただ生きる。ただ漂う。まるでもう死んでるみたいに。
彼らを見ると憫察する。
ぼくも、水槽にいるんではないか、
なにかに飼われているんじゃ無いか。
街を歩いてて、透明の壁に当たるかもしれない。
バカみたいにしっかりエサには喰いついて。
これを書いてる今も、なにかがぼくを見ているかもしれない。
観賞用の室内に入れられてるかもしれない。
ぼくを見ている何かはぼくを『諭ったにんげん』として
嬉々として、好奇な目で観察しているのか。
ぼくが魚を見るように。